Thursday, April 02, 2009

The Duchess ある公爵夫人の生涯

2009年4月11日に封切られる予定の英国映画「ある公爵夫人の生涯」(原題: The Duchess)をひと足先に見ることができたので、簡単に感想を記しておく。

最初に注目すべきことは、この映画には costume play の豪勢な魅力が横溢している、ということである。建築、調度、庭園、衣装、馬、馬車、音楽、群集といった、スクリーンに映し出されるものすべてが観客を圧倒し、フランス革命前夜の英国に引きずり込む。

二番目に、これは、真摯に歴史と向き合った叙事詩であると同時に、様々な形の深い愛を描いた物語である、ということである。

自由闊達で才気溢れる美しい貴族の娘 Georgiana は、大貴族 Duke of Devonshire に嫁ぐが、それは、彼女が男児を出産することを前提とした一種の契約で、もしもそれが果たせたら妻は夫から多額の褒賞金を受け取る約束になっている。ところが、結婚早々、夫は婚姻外で設けた女児を引き取って新妻に押し付ける。彼女は、その女児を長女として育てながら、女児をふたり産み、男児を二度続けて流産する。嗣子を産む責務がなかなか果たせない。夫は妻を、嗣子を産む道具と見なしているようにしか思えない。夫婦の関係は最悪となる。それに追い討ちをかけるように、夫は彼女の親友を妾にしてしまい、妻妾同居を始める。

主人公の結婚は失敗だったように見えるし、彼女自身もそう思うのだが、実際のところ彼女はそれを承知の上で結婚したはずだということを、この映画の作り手は最初のほうの場面で見せている。

結婚後まもなく、主人公の暮らし始めた邸宅に、革新的な政党 the Whig party の党員たちが招かれて会食する機会がある。その党首 Charles James Fox(この役を演じている Simon McBurney という俳優が実に味のある顔をしていて、一度見たら忘れないだろうと思う)に面と向かって主人公は、一部の成人男性にしか選挙権を与えようとしないかれらの方針があまりにも微温的であるという意味のことを言い、たとえ自分に選挙権があったとしても彼らには投票しないだろうと、やりこめる。しかし、主人公は意気盛んで機知に富んでいるのにもかかわらず、女性である自分に選挙権がないのはおかしい、と思い至らない。そのことが、その時代の極端な男尊女卑と身分制度の制約を主人公が知っていて、それを疑問に感じていなかったことを明示している。もしも彼女がほんとうに時代を超越した見識を持っていたとしたら、淡い初恋をおぼえた若者 Charles Grey と公爵とのあいだで心は大いに揺れたはずで、公爵との結婚をすんなり承諾しなかったかもしれないのである。

その若者との恋は再燃し、主人公は Whigs の熱心な活動家である彼の政治活動に肩入れするようになる。やがて、幸か不幸か、彼女は公爵の嗣子を産み、褒賞金を小切手で手にする。そこで、彼女は公爵に、離婚して自由にさせてくれるように申し出るが、公爵はそれを厳しく拒絶する。もしも彼女があくまでも自由に振舞うならば、まず、彼女に関しては、小切手を無効にして金が一文も引き出せないようにするし、子どもたちにも会わせないし、ついで、若者に関しては、将来の名誉栄達とは無縁になるように手配するし、議会にも立ち入らせないと明言するのだ。彼は Whigs という政党のパトロンだから、党首は彼の言いなりだし、若者はまったく無力であった。彼女は若者との別離を決意するが、そのとき、若者とのあいだに子どもを妊娠していた。その女児とも生木を裂かれるように引き離される。

しかし、彼女が最後まで正気を失わずに、公爵夫人 the Duchess of Devonshire という title を最大限に活用して、社交界の花形としても、母親としても、妻としても、なかなかあっぱれな人生を送ったらしいことが、最後まで見ているとわかる。そうすることが、その時代の大貴族の女の最善で賢明な身の処し方だったのだろうと、考えられるかもしれない。そして、その生き方が、微温的という謗りを免れないとしても、フランス式の激越な革命とは異なる穏やかな方法で、大貴族を取り込みながら、ゆっくりと政治的な変革を実現していったWhigs の戦略に、通じるものがあることに気づかされるに違いない。主人公はその時代の社会的な枠組みの中でささやかな自己実現を図り、恋人にもそのようにすることを暗示的に勧めたもののようにも見受けられる。ふたりは終生、恋人同士であり続け、励ましあい支援しあったに違いないと、わたくしは考えるが、どうだろうか。ドーヴァー海峡の向こう側の国の革命に影響を受けながら、それとは異なる方向に英国を進ませた人々の気質が、このふたりにも反映されていると感じられる。その観点から、この映画は真摯な歴史劇であると同時に、深い愛の物語であると言わねばならないのである。


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