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Wednesday, October 10, 2007

大佛次郎「白い姉」に描かれたモダンライフ 04 テニス ヨット

「白い姉」には、スポーツに興じる人々が登場する。そのなかでもとりわけ、主人公の佐保子は車を運転し、テニスをし、ラグビーを観戦し、ヨットを操り帆走する。二十一世紀初頭の日本では、スポーツがすっかり生活の一部分になっていて、だれもそれを怪しまない。だが、前近代の日本に武芸はあってもスポーツはなかった。この小説が『朝日新聞』に連載された1931年にはまだ、スポーツはごく限られた階級の人々だけが享受するものだったのだ。

日本にテニスが紹介されたのは1880年前後(明治十年代)といわれているが、特殊な道具(ラケットやボールなど)が必要なこともあって、なかなか普及しなかったらしい。日本独特の軟式テニスというのも、テニスボールを製造する技術がなかったので、代用品としてゴムまりを打ち合うルールをつくったのが始まりなのだそうだ。それでも、1920年代に入ると、軟式で育ち硬式に転向した選手たちの中から、ウィンブルドンなど国際的な試合で活躍する者も何人か現れた。

では、「白い姉」に、テニスはどのように描かれているだろうか。

自分の腹違いのきょうだいの住まいだとも知らされぬまま、手紙を届けるように養父に言われ、洋子が初めて番町の中田邸を訪れた日にも、佐保子は友だちを集めてテニスに興じていた。佐保子の兄、正夫と面談して、まもなく辞去して玄関から出て門に向かう途中で、テニスコートからボールが洋子のほうに飛んでくる。

 洋子は球を追つて行つて拾ひあげた。
 女は生垣のところまで出て来てゐて、裸の腕をのばしてゐた。
 「はふつて頂戴」
 洋子ははふりかけて、その途端に自分が子供の時から男の子のやうに球をはふつたことがないのを思ひだした。その時球は指から離れて、見当はよかつたけれども、女のゐる生垣の裾に落ちて、軽くはずみ、とんでもない方角に転がつて行つた。
 いつの間にか洋子もこの明るい世界のひとに成つてゐた。笑ひながらそれを追つて行つて今度は拾ひあげると、走り戻つて来て生垣越しに手渡すことにした。枝の影の揺れてゐるところで、ふたりの女は微笑み合つた。
 「済みません」
 佐保子は流れる汗をラケットを持たない方の手の甲でこすりながら、お辞儀をした。[未知谷版 p.158]

上掲引用箇所は、腹違いの姉妹である佐保子と洋子が、それと知らずに生涯にただ一度邂逅する、重要な場面である。この部分が「別の世界」と題されている章に含まれることから察せられるように、邸内の一角にテニスコートのある暮らしは、庶民の目から見れば「別の世界」のことに違いなかった。また、その世界の外では、ボールを投げて遊ぶことも、男の子に限られていたことなのかもしれないことが、推察できる。女の子は家の中でおとなしく、というような躾を、上流階級の娘たちはなんの迷いもなく乗り越え、農作業でも工場労働でもなく、ボールを追いかけてテニスコートのなかを駆けまわって汗を流すことに快楽を見出していたようでもある。

 みんな佐保子の同窓で、既婚のマダムもゐたけれど、どれもミスといつて通るくらゐ青春と幸福に充ちた女たちで、喉をふくらませて冷たい水を飲んだ。葉越しの光の斑(ふ)が、薄い運動着につゝまれた若い女たちの胸や膝や、裸の腕の上にスタンプを押してゐるのだつた。烈しい運動の後で、女たちはみんな、動物のように匂つてゐた。暑がつて、出来るなら服も脱ぎ捨てたいのだつた。
  「プールがあるといゝのね」
  「贅沢。……けれど、もう、すぐ夏だわ。素的ね。あたし一年中で夏が一番好き。今年も、あなた葉山?」[未知谷版 pp.159-160]

彼女たちにとってテニスは社交の場に過ぎない。物語の舞台は盛夏の到来とともに避暑客の集う真夏の湘南へと移動するのだが、«日除けの傘が、きのこのやうにはえてゐる» ホテルの前の砂浜で彼女たちの交わす会話は、番町の佐保子の邸のテニスコートでの会話とたいして変わり映えがしない。

潮風や熱した砂がいつもの快い怠惰と安逸の世界を醸してゐた。女たちは、からだがだるくなると海水につかつて、魚(うを)のやうに白い足の裏を見せて泳いでくる。動くのに倦き、水が冷たく感じられるやうになると濡れた肩や手足を光らせながら砂浜へあがつて来て、傘の下に帰つて来る。笑つたりしやべつたり、チョコレエトを噛んだりする。[未知谷版 p.276]

泳ぎ疲れて、日が暮れると入浴、ディナー、ダンス、というぐあいに、避暑地の日々のメニューは繰り返される。

何も考へずにゐられる生活 ― 肉体だけを資本にして、疲れることさへなければ、どこまでも次から次へ快楽を追つて行くことの出来る毎日。日の光が空気を熱してくると、自然に、たれでもそれだけを考へて熱中してくる楽しい世界である。[同上]

その世界から距離を置いて世の中を見てものを考えることを、佐保子に促す働きをしたのが、ヨットである。

日本に小型のヨット(sailboat)が持ち込まれたのは明治初期のことで、1882年には外国人によるヨットクラブが横浜に設立され、その動きが神戸や長崎に居住する外国人たちのあいだに波及したという。日本人によって設立された最古のヨットクラブは、1923年琵琶湖で設立された「日本ヨットクラブ」で、のちに琵琶湖ヨットクラブと改称し、現在もBYCとして存続しているそうだ。

慶應義塾大学と早稲田大学にそれぞれヨット部が創立されたのが、1932年(昭和7年)のことで、同年、 第一回湘南レースが開催され、日本ヨット協会が設立された。 大佛次郎が鎌倉に住んで、「白い姉」を執筆していたのは、その前年1931年(昭和6年)のことで、全日本学生選手権大会も、早慶ヨットレースも、まだ始まっていない時期である。その年の夏、かれは自艇を購入して帆走を楽しんだというから、それが佐保子の帆走と遭難の描写に生かされているのだろう。

佐保子は、仲間がまだ寝ている早朝に起き出して、鎌倉の海岸からヨットで沖合いに出る。朝食の時間に間に合うように帰るつもりだったのに、思いがけなく江ノ島の近くまで来てしまう。
Turtling

 佐保子は、ほかに船の影もない輝いた海のひろがりを見廻して、静かにヨットを返し始めた。
 急激な振動が船体にこたへたと思ふと、ぐいと突だされたやうにヨットは進路を曲げて傾いた。
 あつと思つただけであつた。突風を受けて傾いた帆が頭の上にかぶさつて来たのを逃れて佐保子は水へ飛込んだ。浮上つて見ると、見事にヨットは転覆して赤い腹を出してゐた。
 危険は感じられなかった。万一の場合は騒いで岸へ泳ぐやうなことはなしに、沈むことのない船体につかまつて救助のくるまで漂つてゐるのが一番安全なのを知つてゐたからである。[未知谷版 p.277]

ぼくの蔵書にある John Muhlhausen というヨットマンの書いた Wind and Sail, A Sailing Primer という教則本(上図)によると、佐保子の艇のように完全に転覆して、亀の甲羅を見たように船底が上を向いているのを、自力で引き起こすのはきわめて困難であるらしい。それに較べて、横向きに倒れているときは、やや見込みがあるが、"However, it is important for the skipper to remain calm and conserve his energy." と戒めている。上の「白い姉」の引用箇所からは、佐保子が初心者ではあるかもしれないけれど、蛮勇をふるって海に出たわけでなく、誰か然るべき人にヨットの基礎を習ったことが読み取れる。それにしても、なんと度胸のある人だろう。だが、救助してくれそうな船影はどこにも見えない。

 空は如何にも高くて広くて、晴れ渡つた色に流石に八月なかば過ぎの、秋近い冷やかさを目に覚えさせた。青く、実に静かに澄み渡つてゐることだ。それに何と高く見えることであらう。心細いやうに思はれる。空を見てこんな心持のしたことはない。こんなに澄んだ青い色を見たことがない。ひよつとすると、このまゝ、あたしは死ぬのではないかしら?
 いや、そんなことは考へてはいけない。まだ、あたし、死にたくない。死んぢやアつまらない。[未知谷版 p.278]

深まる絶望に拮抗するように、生を希求する想念が強まるのだが、体力と気力が衰えるにしたがって、佐保子は次第に死に傾斜していく。

[……]たゞ、あたしがこのヨットから離れさへしたら! 死ぬとはどんなことかわからないけれども、命のうきにしてゐるヨットから離れゝば、十のうち九つまで死んで終ふことは確かなのだ。
 (そうなつてもいゝんだけれど)
 佐保子はふとかう考へてゐる自分を見た。不思議に落着いた感情であつた。どこからともなく忍び寄つて来たやうに感じられるうら冷たい影の中に身を置いて、無際限に深く蒼い空の色を凝と見るのだつた。[未知谷版 p.279]

佐保子はけっきょく、漁船に救助されて、仲間の前ではいつもと変わりがないように振舞うのだが、«これまでのやうに無気力を感じるだけのものとは根本から違つて結晶体のやうにはつきりと澄んで感じられる悲しみ» を感じるようになっていた。その感情は、佐保子を打ちのめすのではなく、かえって、自力で生計を立て良心をごまかさずに生きていこう、という決意を固めさせる。 生死の境から生還して、佐保子の心の中に、自立を求める女が目覚めたのである。

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